映像カメラマンになるまで・・・③最終話


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とうとう専門学校生になったオイラは運転免許もとって酒も女も覚えて、カラオケ行きまくって楽しい生活を満喫したのであった。

 

 

 

当時はカラオケがめっちゃ流行ってて、暇さえあればCD借りて新曲覚えてBOXに通いまくったさ!

 

毎日のように・・・

 

 

そしてこの頃は車同士でのナンパも流行ってまして、あるルートをぐるぐる回って「開けて、開けてよー」と声をかけて、駐車場で朝まで語りあったり、カラオケやゲーセン行ったりしてました!

 

隣の県までナンパ遠征に走ったりもしてましたね!

 

 

とにかく覚えたてということもあり、意味のないドライブをお気に入りのカセットテープを聴きながら、ただそれだけでも楽しかったなぁ・・・

 

今となっては忘れかけてた想いです!

 

 

 

 

バイトもいっぱいしましたね。

 

うどん屋、回転寿司屋、キャバクラみたいなスナックの裏方・・・・・などなど。

 

 

 

スナックの裏方の仕事では、フルーツをさばいたり、カラオケ入れたり、おとおし作ったりしてました!

 

まだ着慣れていないスーツを着て、深夜2時頃まで働いてましたね!

 

女性スタッフが気の強いのなんのって、女性の裏の顔をさんざん見せられてトラウマになりそうでした。

 

電話が鳴ったら厨房にきて、「えーっ、ありがとう! そうなの? マジ? ・・・ 私、軽がイイな!」みたいな会話を聞きたくもないのに聞かされ、客に付いてる時と帰った後の豹変さにうんざりしましたね!

 

バブル崩壊後とはいえ、夜の街はまだ、男性達のプライドで、潤っていた気がします。

 

 

 

遅くまで働けることもあり、スナック辞めた直後から代行運転のバイトもしましたね!

 

当時は飲酒運転の刑罰がそんなに厳しくない時代でしたが、やっぱ金持ちはいるところにはいるんだな、と感じさせるバイトでした。

 

 

この頃は、代行運転に特別な免許は必要なかったお陰で初心者の自分が働けたのであります。

19時から走らせて深夜3~4時までの労働!

21時くらいまではホント暇で、待機場所で眠りかぶりながらパートナーと語ってました。

 

21時を過ぎてくると活発になり、無線もどんどん入って、ただただ運転、いい時には1回で40キロほど離れたところまでは走らせてくれて、途中でコンビニに寄って、お客さんが缶コーヒーおごってくれたりもしました!

 

しかし、やっぱりお客は全員酔っ払いなので、暴力をいきなり振るってきたりする客もいましたね。

 

帰りはほぼ、ファミレスに行って、同じ代行の仲間と軽く食べて帰るのが当たり前のようになっていました。

 

このバイトのよかったのは、日払いだったんですよ!

 

売り上げからガソリンを満タンに給油して、残りを3分の1にして、本社、パートナー、自分で分けるんです。

暇な平日、忙しい土曜日でもだいたい最低でも6千円くらいがその日に貰えました!

 

 

 

 

そして、バブル崩壊の影響はもちろんの事、就職宣戦にも影響を及ぼしていきました。

 

情報処理系の就職先の求人がほとんどゼロなのです!

 

 

 

資格をいっぱい持っている人も、全然違う職種へと就職先を仕方なく決めていかなければいけない状況だったのです!

 

高校生の頃には、ゲーム制作の仕事に就きたいという夢は、非現実的だといつの間にか思うようになってしまっていました!

 

そして自分も全然コンピューターなどとは関係の無い職場に受かることができ、1ヶ月後に初顔合わせが決まっていました!

 

まぁ、人生なんてそんなもんだろ!ってな具合で友達と遊びほうけていた時、なぜだかコンビニで無料で配布している求人ニュースが目にとまりました!

 

 

普段は見る事さえない求人ニュースをペラペラめくってみると、【システムエンジニア募集】の文字が!

 

しかも、初任給手取り最低25万円~

 

衝撃が走った!

 

 

 

駄目もとで電話してみよう!

 

・・・そしてすぐに面接があり、見事合格採用!

 

 

まさかの展開に唖然!

 

 

あわてて決まっていた職場にお断りのお詫びの電話をして、システムエンジニアとしての職をGETできたのであった。

 

 

 

さっそく働き出した俺ですが、エリート集団の中にたいした覚悟もなく放りこまれ、常にあたふたしていたのを思い出します!

 

しかしこの職場は実際のところ、別の会社に雇われている中での、今で言う派遣社員という体制でした!

 

平日はシステムエンジニアとして働き、日曜・祝日は本社である映像会社を手伝う!という状態にいつの間にかになっていきました。

 

というのもその映像会社は、イベントなどが多く開催される日曜・祝日が猫の手も借りたいほど忙しかったのです。

 

こういう経緯で私は、将来の夢でもなく、好きだった業界でもなく、縁もゆかりもないと思っていた映像カメラマンという職業と、深く関わってゆくことになるのである!

 

 

 

 

それでは続きはまた次回!

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